カンヌ国際映画祭最高賞受賞で話題の「万引き家族」を観てきました。
わりと抑制がきいている上に、省略のある(観客に対して懇切丁寧な説明をしない)映画で、万引きをする主人公に感情移入しづらいとすれば、観た人の中には消化不良だった人も多かったかもしれませんね。
-- あらすじ --
「万引き家族」の柴田家は本当の家族ではない。
窃盗常習の日雇い労働者の父・治(リリーフランキー)、治に習った万引きを繰り返す祥太、クリーニング工場のパート中に洗濯物に紛れたネクタイピンをポケットに入れる母・信代(安藤サクラ)、元旦那の息子の家に「月命日だから」と度々訪ね、その度に金を受け取る祖母・初枝(樹木希林)、JKリフレで働く家出娘、亜紀(松岡茉優)。
ある寒い夜、治と祥太はタッグでの万引きの帰り道に虐待を受けベランダに出されていた小さい女の子、りんを連れて帰る。
6人の疑似家族が軽犯罪やアンダーグラウンドな行為に手を染めつつ営む生活には本当の家族のような幸せなひとときがあり・・・。
-- -- -- -- -- --
抑制のきいた展開、描写なのでハラハラ、ドキドキしたり、感動が込み上げる、という感じでもないのですが、リリーフランキー、安藤サクラ、樹木希林の好演はさすがで、しみじみと感じるとてもいい映画でした。説明過多を避ける作風のため、設定やストーリー中での意味付けがややわかりにくいところがあり、それを解釈するのもまた楽しいかと思います。
ということで、以下はもろネタバレです。
家族の中でダントツにダメ人間らしさを発揮しているのは父・治ですね。
日雇い仕事の朝に行きたくないとグズり、怪我をして帰ってきて「だから嫌な予感がしたんだ」と言う。
自分が「父ちゃん」になりたいから、祥太をさらってきてしまう身勝手な人間。
でも陽気な性格で祥太には慕われているし、信代はなんだかんだで治が好き。
治のダメさと陽気さを同時に示す場当たり的な発言がいくつかあります。
「店に置いてあるものはまだ誰のものでもない」
車上荒しの際に祥太にこれはどうなんだ、と追求されてましたね。
「学校は自分で勉強ができないやつがいくところだ」
治本人が言った場面は描かれていませんが、祥太が何度が口にしています。
学校について尋ねられた時に言ったのでしょう。
治自身は別のシーンで祥太に「父ちゃん英語ダメだから」「国語はもっとダメ」と
言っているように、勉強なんてほとんどしなかったでしょう。
祥太は治とのタッグの万引きにりんが加わった3人での万引きの後に「こいつ邪魔」「2人の方が楽しい」なんて言ってりんを悲しませたこともありましたが、納得した後は頼もしく優しいお兄ちゃんっぷりでした。
治にせがまれても「父ちゃん」と呼ばなかったのは、治はたぶんはじめはさすがに気が引けて自分のことを「おじさん」と言っていたのでしょう。でも治はだんだん父と呼ばれたい願望を募らせ、「父ちゃん」と言い出した。治らしいです。まあひと目を気にしたカムフラージュの意味もあったのかもしれないですね。でもその頃にはすでに祥太からは「おじさん」として定着していたんでしょう。「父ちゃん」とは呼ばず、かといって「おじさん」とも言っていなかったような。治が「父ちゃん」と呼ばれたがるせいで祥太は治のことをなんとも呼べなくなっちゃったんじゃないでしょうか。まあ、2人称って結構使わなくてもなんとかなりますよね。
国語の勉強が好きで、よく押入れの中でヘルメットにライトをつけて教科書を読んでいました。物語終盤で学校に通いだし、国語のテストでいい点を取っていました。治よりも将来、有望そうですね。境遇のための過酷な状況も待ち受けているでしょうが克服してほしいと思います。
家族解散のきっかけは祥太が万引きで捕まったからでした。祥太が待っているように言ったのに、りんがついてきて万引きしようとした時に、祥太はわざと見つかるように万引きをしてりんがするのを止めました。
それより少し前、駄菓子屋で祥太がりんに万引きを教えた時、駄菓子屋の店主(柄本明)は祥太を呼び止めてお菓子を渡しながら言いました。
「妹にはさせるなよ」
この店主はたぶん祥太にとって「家族」以外に影響を与えた初めての大人だったのかもしれません。
この時から祥太は万引きがやっぱり悪いことなんじゃないかと考え始めます。信代に聞いてみると「店が潰れない程度ならいいんじゃない」と言います。
そして駄菓子屋が閉店しました。店には「忌中」の張り紙が貼られていました。店主が亡くなったために閉店したわけですが、祥太は忌中の文字が読めませんでした。万引きをしていた店がつぶれてしまった。やっぱり万引きはやっちゃいけないんだ、祥太はきっとそう思ったんでしょう。
初枝と治、信代の関係はわりとドライで、お互いメリットがあるから、という感じです。初枝と仲がよかったのは亜紀。りんが初枝の隣で寝るという話が上がった時に「そこは私」と声をあげるほど亜紀は初枝になついていました。
ただこの亜紀と初枝のパートについては描写が削られたのではないかと思うのですが、ちょっとわかりにくかったです。
初枝が亜紀の実家に元夫の「月命日」で訪ねて行ったシーンで招かれざる客である初枝に対して亜紀の妹のさやかがハツラツと声をかけています。亜紀はJKリフレでの源氏名に「さやか」を名乗っていました。
器用で外づらのいい(笑)妹さやかは周囲の評判も上々で亜紀に向けられるべき両親の愛情まで一身に集めてしまっていたのかもしれません。少なくとも亜紀はそう感じていました。だから性を売りにする自傷行為での自分の名前を当てつけるように「さやか」にしていたんですね。
警察が亜紀から初枝の死体遺棄について情報を引き出そうとし、初枝が両親から金を受け取っていたことを話したことで、亜紀は「おばあちゃんが私に一緒に住もうって言ったのはお金のためだったの」と疑いを持つことになります。
この初枝が亜紀の実家へ通ってお金を受け取っていたことと亜紀を一緒に住もうと誘ったことの関係がちょっとよくわかりませんでした。
たぶん「お金のため」ではなかったと思っています。初枝が亜紀を利用してお金をもらえる理由がありません。
亜紀の母親が「長女はアメリカに留学に行っている」と初枝に話していたので、両親は初枝が亜紀といっしょに住んでいることは知りません。
おそらく初枝は元夫の息子の情報を探るうちに亜紀が両親の愛情不足で苦しんでいるのを知り自分とは血は繋がっていないけれども元夫の忘れ形見を自分の孫のように愛情を注いであげたかったのではないでしょうか。
この亜紀にとっての「お金のため」と祥太にとっての「万引きで駄菓子屋が潰れた」という勘違いは2人の治、初枝たち家族との記憶に影を落とすような気がしてちょっと切ないですね。
信代は治と違ってダメな印象はありません。クリーニング工場のパートでは盗みを働きながらも仕事はしっかりとやっていたのでしょう。クビにされた理由は時給が高かったからでしたね。パート仲間の団らんでも中心的な存在のように見えました。
警察の取り調べで死体遺棄について追求された時の信代の言葉が印象的です。
「捨てたんじゃありません。人が捨てたものを拾ったんです」
これは監督が語らせたこの作品のテーマに直接つながる言葉でしょう。
血の繋がった普通の家族を持ち、恵まれているはずの普通の人達が捨ててしまっているもの。それをかえって血の繋がらない疑似家族の方が大切にできてしまったりする。
僕たちが日々の生活の中で「捨ててしまっている」ものを思い返したいですね。
最後に印象に残ったシーンを2つあげて終わりにします。
ひとつめは海遊びの場面、初枝は楽しく遊ぶ家族たちを観ながらパラソルの影でむにゃむにゃうたた寝。この後の初枝の死を暗示しながら、もっとも幸せな家族のひとときを象徴していました。
りんは治たちがつかまった際に警察署でこの海の日のことを絵に描いてましたね。
2つめはラストシーンです。
施設で生活するようになった祥太が治を訪ね、治と祥太は一人で罪をかぶった信代に面会に行きます。信代は祥太を拾ったパチンコ屋の場所や車の特徴を話しました。治はその時それを不服にしていました。まだ「親子」を続けるつもりだったんですね。しかし、その夜、祥太に「僕を置いて逃げようとしたの?」と尋ねられ、治は「うん、した。ごめんな」と答えました。
次の日、施設に帰る祥太を見送る際に治は祥太に「おじさんに戻るよ」と告げたのでした。
切ないですね。
以上です!